『ケーキの切れない非行少年たち』宮口幸治(新潮社)読みました。
筆者は法務省矯正局として医療少年院での勤務経験から、彼らにどのような特徴があり、どうすれば更正できるのか、また同じような非行を繰り返さないためにはどうしたらいいか提案を展開している。
発達障害で知的障害を持った非行少年。
本来は支援されないといけない障害を持った少年たちがなぜ凶悪な犯罪に手を染めることになったのか。
どうすれば非行を防げるか。
どんな教育が認知力を高めるのか。
歪んだ自己評価を修正していくにはどうすればよいのか。
筆者の提案を読んでいこう。
気づき・感想
僕が読んで感じたのは、大人同士のコミュニケーションにも当てはまり、少年犯罪だけに留まらないなと思いました。
中でも注目したいのは、本文中に下記の記述が出てきます。
ここでいう“全体”の範囲が明確には記載がないので総数としてはわかりかねますが、「知的障害」の定義の基準のI.Q値が下げられたというのは事実として捉えていいと思いました。
つまり、数値上では障害として認められにくくなったと解釈できます。
しかも、「人数が多すぎる、支援現場の実態に合わない」という理由によるため、実質人数が減ったわけではないとのことです。
僕は、職場においても社内社外問わずコミュニケーションをとろうとすると、認知の良し悪しに結構差が出ることを肌で感じます。結構ね。
大丈夫かな?と感じる方がある一定いるんですね。何度も同じ事(ミス・エラー)を繰り返す、図示して示しながら共通で使う言葉で説明しても理解(認知)できない、こういう事をしたらこうなるかもしれない、という少し先を想像することができないなど…。
幸か不幸か僕の勤めてる会社では周りや他部署がサポートする文化が比較的醸成しているため、当の本人もその場では何とかなります。しかし、社内でも競争に重きを置いたり『自分のことは自分で!』という文化の企業であれば、落ちこぼれたり、最悪仕事がなくなることだって考えられるでしょう。
本当は当人が困っており、業務に支障があるにも関わらずと周りが困っている状況はなんとなく理解していたとしても“不注意”や“甘え”として捉えて見過ごしているケースもごく自然に起きていると感じます。パッと見は何もわからないのですから。
そういう僕も感じることがあるだけで何か手を打てているわけではありません。せいぜい自分のアプローチ方法で何かが変わるのかな?と思って試行錯誤を繰り返しているくらいです。
誰しも個性という範囲ではズレはあると思います。それが生活において支障が出るのが障害です。
しかし、日常平坦な中で働いている分には何も支障ないが、予期しない事態や突発的な事象が起きたときに突然表面化するわけです。
大きな事件が起きたときにその加害者を知る人のインタビューで「普段は温厚な人なのに。信じられません」といったコメントもよく見るでしょう。
周囲からすれば「何でそんなことしたんだ?」というのは、まさにこの事です。
困難が生じた際に何ができるのか、先のことを想像する力が著しく欠場していると、突拍子もない行動をとったりすることに繋がりうるのです。
それが犯罪に繋がってしまう場合もあり得るということを理解しておきたいのです。身近にだって起こり得る可能性がゼロではないのです。
この手の「こども」「少年」「少女」がタイトルになってる書籍の大半は大人が自分自身を見るのにちょうどいいと思います。
大人同士のコミュニケーションでも認識しておくべきことだと強く感じます。
本著は新書でページ数が少なくサクッと読めてしまいますので、是非ご一読ください。
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