タイトルには「子どもたち」とかかれてますけど問題なのは今の大人である僕たちのことだと強く感じました。
著書内に出てくるAI技術の「東ロボくん」の本来の目的は「AIにできることと、できないことを解明すること」つまり、強みと弱みをはっきりさせることなので、人間がやってることを全部AIにやらせようというものではない。というよりもできない。
「数式として表現できること論理と確率と統計で表現できること」以上のことはAI技術には表現できないともあります。まさにAI技術の特性となる記述です。
ただ、僕が接する人たちの中では「自動で何でもやってくれる」とAI技術を安直に捉えている人が多かった経験もあります。
では、本著が何を問題視しているのかというと、
AIの弱点は文脈や本質や意味を理解するという点であることがわかったから
意味を理解する能力は人間が特性として持っている能力であると言いたいところ、
そう結論付けられないことにあるということです。
意味や内容を理解して問題を解いていない東大ロボよりも、書いている問題の意味が理解できない学生がある一定数いて
AIよりも低い水準になってしまっているということです。
また、小学校でもディベートのようなアクティブ・ラーニングの取り組みが多くなってきたけども、相手の言っていることの意味を理解しないまま議論が進んでしまっている恐れがあるというわけです。
この本から得た気付き
僕も会社で身近にしょっちゅう起きてるなと痛感しました。
大体口論(ヒートアップしている)の場面で客観的に聞くとお互いに相手の意味を理解して話を進めていないことを良く目の当たり(耳当たり?)にするんです。
お互いに不幸せな目にあってるだけだと思います。
子どもが危ないだどうだ危険視するということは、その危険な状態を作り出しているのは今の僕たちであることを自覚し、
子どもたちに物事を教えていくと言うことは、自分たちが発する言葉や行動にも意味・目的を持たせ、それを見て理解しようとするプロセスを養っていくことなのかなと思いました。
・意味を理解するのは本来人間の特権
・普通に大人でも読解力不足がある
・双方が読解不足だとお互いに不幸せを生む
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