世界に対しての距離感と進入角度を考える。

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ビジネス書

このフレーズがいっぱい出てきます。

こんにちは、マルチタスク専門家のくらゆーです。

ちょっと話題になっている宇野常廣さんの『遅いインターネット』読んでみましたのでレビューします。

目次

序章:オリンピック破壊計画
1章:民主主義を半分諦めることで、守る
2章:拡張現実の時代
3章:21世紀の共同幻想論
4章:遅いインターネット

気づき・感想

ここに答えはない、一緒に考えながら進もうというのが著書のメッセージです。

にしてもいろいろ気づかされるシーンが多く、実りのある読書でした。

特にメディアへの関わり方ですね。

インターネットで地域や物理的に共存するコミュニティの壁を越えて新しい価値感を共有し合えることで新たなコミュニティが発生することに価値があり期待されたのに、

結局はリテラシーが低く受動的にしか利用できない、使いこなせないとただ情報の渦に飲み込まれてしまうということ。

例えばTVはオワコン、ネットこそ時代だ!

なんて言ってる人でも

下らないネットニュースをサーフィンしながら見て振り回されて盛り上がるのはTVのワイドショーを観ているのとさして変わらないし、

炎上しているツイートを見つけては浅い考えで一緒になって叩いているのは、自分で自分の存在価値を見出だせず

一時的なカタルシスを求めているだけにすぎないということ。

…媒体が変わっても、テクノロジーが発展しても、結局ところ受動的で依存してしまう体質は無くならないんでしょうね。

人間自身の考え方は自分が変わらない限り抜本的に変わることはないということがよりわかるかと思います。

また、コミュニティ内で起こる同調圧力は、本来はインターネットを介して自由となり解放されるべきものが、別の形となって(気づかないうつに)同調圧力を生んでいるという側面にも気づかされました。

本書を通して平たく言ってしまうと「周りの速度レベルが上がっても、主体性を持つ行動をとる」ことがテーマなんでしょうね。

運動嫌いな筆者がジョギングするのもインターネットが速度の壁を無くした今だからこそ、自分の物語軸をきちんと持っておこうということの表れなんだと思います。

遅いとは、絶対的な遅さではなくて「速い周囲」に対する「自分のスピード」の差異のことでしょう。

他人の物語と自分の物語、日常と非日常という2つの軸で構成する感覚こそ「距離感と進入角度」を決定づけるなんだなと思いました。

この2軸の表現は初見でしたが、なるほど、わかりやすくてすんなり受け入れられました。

読んでよかったと思いましたので、オススメです。

僕もブログ作り頑張って自分物語の日常と非日常を組み合わせながら創作していきたいと思います。

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